常識的な世界、どうにもならない日常に限界を感じていませんか?
ひと握りの支配層が作ったシステムに乗っかって世の中が動いていますが、そこから出てくる情報や常識、型にハマった教育を受けて、その常識通りにやっていては、それ以上になり得ません。
ストレスを感じつつ、何かおかしいと思いつつも、目の前の現実対応に追われて、仕方なくそれを飲み込んで生きている。だって、周りもみんなそうだし、世の中ってそういうもんじゃない?→それって完全に洗脳されてないか!?
都合の良いように動かされ、取られるだけ取られて、時間もお金も体力も残り僅かな枠の中で、渋々、目先の小さな欲求を満たしながら生きていく…。こんな人生に未来があるのか!?→それって奴隷と同じじゃないか!?
これはイカンと、いろいろ頭で考えてみるが、制約、制限だらけで「でもね~」「だって」の堂々巡り。あれも無理、これも厳しい…。気付いたら同じようなパターンの繰り返しで、悶々とする。
その中で努力する人もいる。少しでも多くの知識を身に付ければ変わるだろうと、情報集めたり、勉強して資格取ったりするが、結局、その後に起こるのは決まった枠内でのパイの奪い合いと権力闘争である。
目の前の風景は若干変わるが、やってる事にほとんど進化は無い。気付いたら同じようなパターンの繰り返しで、悶々とする。(←なぜそうなるのか?は、また別の機会に)
ところが、中には新しい現実を創り出していく人たちがいる。あり得ない奇跡を起こしたりする。ある意味、型破り・型にハマっていない人たちだ。
言うこと変わってたりするが、どんどん進化・深化していき、気が付いたら凄いことしてる。常識的な生き方・制約にハマらない人たち
(ということは、型にハマらない子供というのは、凄い可能性を秘めている!とも言える訳ですが、この話は別の機会に譲ります)
そしてなぜだか、運がいい。
これはどういうことなのか??
常識という枠を超えて発想・行動できる人たちは何が違うのか?
●簡単に言うと、見る角度やモノの観方が違い、見えているものに対しての感じ方、感性・感覚が違う。だから、捉え方や考え方、行動が必然的に違ってくる訳ですね。
ある時、知り合いが、とある華道のお家元と歩いていて、「今日は日差しが眩しいくらい、いい天気ですね」と言ったら、「傍を流れている小川の水底にいる魚に反射した光がどこそこを照らしてどうたらこうたら…」みたいな、物凄い風景描写の言葉が返って来てビックリしたと言っていました。
水底?魚?どこ?水面がキラキラくらいは分かるけど、同じ場所にいて私には全然見えなかった。まるでその場全体を見ているようだったと。
同じ場にいて同じ風景を見ていても、見えているものが全然違う。この辺が達人と常人の差なのでしょうねと。
感性が開いているとそんな状態になるんですね。華を活ける時も、華や剣山や器だけを見ているのではなく、会場の空間や、その時の季節や天気、周囲の風景などなど、もっと広い空間・深い部分と繋がって感じながら創作されるのでしょう。
もちろん、全員がそうなる訳ではないと思いますが、それぞれ得意な感性のアンテナを持っているでしょうから、そこが開いてくると感覚が変わってくるかもしれません。
●また、そういう人は、自分を自由にありのままに表現する、囚われが無いちょっと変わった人(笑)が多い。ある意味、変態(笑)
でも、その変態を「私、こんなのだから」と受け入れられる人、自分を信じられる人
だから、変わった物事に対して「おもしろい!」と受け入れられる人が多い。
空気読まない単なるワガママと違う点は、感性・感覚の鋭さと懐の深さ。
この辺が洗脳された常識人と、進化した人の大きな違いだと思われます。
今までと違う人生にシフトしたい!
私もひと昔前までは、社会という常識に囚われた、社畜的人間として働いていました。悶々としつつも、世の中とはそういうものだと思い聞かせ、努力を重ね、無理して、頑張って生きていました。
しかし成果を出しても給料は上がらず、頑張りが正当に評価される所はないものかと田舎から都会に出ましたが、学校で教えられたような正しい?生き方をすればするほど、都合よく利用され、押し付けられて苦境が増えるばかり。転職を繰り返すも同じようなパターンの繰り返し…。
そのうち、騙されて無一文に。本当に何も無くなって、人生ドン底を味わいます。今までの人生、何だったのかと、全てがぶっ飛んで真っ白になりました。なんとかここから再起してやろうといろいろ考えましたが、全て虚しく頭の中を通り過ぎて行きました。周りに信用できる人間ゼロ、所持金ゼロ。完全ドロップアウトですね。
運よく温泉旅館に拾われ、住み込みで働かせてもらえることになりましたが、ご飯が食べられる有難さに涙したこともありました。この時、人生最大の自分との対話をしたと思います。生きる意味って何なのか?これからどう生きるのか?
生きる意味については、正直、分かりませんでしたが、自分の中で進化・変化したいという欲求があることは分かりました。これからどう生きるかについては、もう何もないので、最後に自分の中にある「心」が少しでも喜べる生き方をしようと思いました。その為に出来ることしようと…。あえて金や権力や社会的価値観の逆を行ってみるのもおもしろいと。
この発想の転換と、やるしかない状況が私の人生に変化をもたらしました。この後、紆余曲折はありましたが、その度に不思議な人との出会いやご縁に助けられ、これまでとはあり得ない方向!?に人生が展開していきます。社会についても、外側から客観的な視点で見れるようになりました。
そのうち、有難いことに、奇跡を起こすような「進化した人」との出会い、ご縁も頂いて、その感性・感覚に刺激を受けることも増え、今ではその感覚も大分掴めてきたのかなと思っています。(周りにプチ奇跡はしばしば起こるので)
人間は、ものすごい可能性を秘めている!!囚われているだけだ!!
常識人はいかに主導権・権力を握るか、自分の正当性の主張、または何かしらの言い訳を考えるが、枠のない人はそんなこと考えていない。自分の本質に忠実だ。
大きなポイントは、発想の起点と、常識を外して考えること、持っている感性・感覚のアンテナが開いているか、養われているかである。
今までの人生の大変化の中で、気付けたこと、感じたこと、これは大事だと思えることなどを、「今までとは違った人生を生きる為のヒント」として、感じるままに書いていこうと思っています。
また、「進化した達人」から教わった、常識とは違う角度・視点から、変わりゆく世の中や、出来事の意味、本来の人間のあり方などもお伝えできればと思っています。