左脳のみ(普段使っている思考のみ)ではうまくいかない!
陥るパターンがある。
やっぱりね、狭い頭の中だけでグルグルやってちゃダメですね。
だって頭のキャパが少ないんだから。特に私の場合(笑)
じゃぁ、知識を増やせばいいじゃないか!資格を取ったり、知識・情報を増やせば、世の中を有利に進んでいくことが出来るはず!!そのうち成功するはず!そのうち世の中の事が分かってくるはず、と、一生懸命努力して、常々情報収集をし、勉強会やセミナーやワークショップに参加して…というのが一般常識的なパターン…。
でも、こんなに頑張っているのに、なんでうまくいかないの!?ってなってませんか?
何かあれば、現状分析をして、問題点を見つけ出し、対策を練り、改善を行っていく!
確かにこれで、ある程度、成長は出来ると思うのです。
ただ、制約や制限が多すぎて、出来る範囲・限界がすぐに見えてしまう。やっているうちに次々と問題が見つかって、それに取り巻かれてしまう…。
問題解決に追われ始める、やらなきゃならない事に追われ始めると、どんどん精神的に苦しい展開に…(-_-;)
気が付けば負の連鎖ループに嵌っている…。な~んでか??
答えは簡単。「問題解決」に焦点が当たって、それを軸に行動しているから。
これは、ある意味、問題を引き寄せていると言えます。自分で。
でも、無意識のうちにこれをやってしまう。なぜか??
多分ね、これ、教育や世の中・環境による刷り込みなんですよ。
学校で、問題:▲+▲は?「◆」「おおっ!正解!」「えらい!」「よくできたね!」と褒められる。逆にできないと怒られる。
問題に対して答えを導くこと・解決することが、良いことであると繰り返し教え込まれ続ける。→潜在意識に定着。パブロフの犬のように反射的にそうなる。
同じように、して良いこと、悪いこと、望ましいこと、など親の価値観や、社会にとって都合の良い価値観を、自立するまで刷り込まれる。
親がうまくいかなかった・苦労した体験などがあれば「そんなことするもんじゃありません!」「それをすると大変な目に遭う」とか言って遠ざけてみたり、うちは代々こういう家だから、こうしなきゃダメとか(こういうものを先祖から引き継いだカルマという)世間様に…とか言って、みんなが良しとする事しか認めないとか…
で、世間様で非常に素晴らしいと評価される人とは…「社会的問題を解決した人」=「英雄」だったりします。
これは歴史の中でもそうですね。昔は今のように誰でも安心して生活できるような世の中ではなかった。常に、食えるか食えないか、生きるか死ぬかみたいな過酷な環境の中で生きてた時代が非常に長いのです。モノが世の中にたくさん出回り始めたのは、産業革命以降の話。
そんな中で、生き残っていくという課題に対して、迫りくる死と隣り合わせの恐怖・問題を克服する技術を編み出した人とか、村人や市民や国民が生き延びる為に活躍した人は、そりゃ、みんなの英雄な訳ですよ。
代々語り継がれたり、町や国のシンボルになったり、ヘタすりゃ神様として祀られたりする。(日本の神道で祀られている神様も、ほとんど祖先を神格化したものじゃないかと思います)そういうものを文化、国民性、宗教観、空気感として、知らない間に継承しているのですね。集合的無意識とでも言いましょうか。
ついでに言うと、そういう歴史についても、本当のことが伝わって教えられているかといえばそうではない。必ず、時の権力者によって都合の良いように書き換えられている。自分の国を支配・安定させる為に都合の良い解釈を必ずする。
だから歴史解釈問題などという、おかしな事態が発生する。こうなってくると何が真実か分からない…。
大量にあふれるネットの情報も同じ。
現代の我々はそういう情報に取り巻かれた環境で生きているんですね。
そして、その情報や、刷り込まれた価値観を元に、選択、判断して、少しでも有利になるようにと思考している。というのが客観的に見た状態です。
そこに取り込まれない為には
まずは、我々が生きている環境・背景を知っておきましょう。客観的に冷静に見れる視点を持ちましょう。ということです。
その上で、情報や刷り込まれた価値観に軸を置く(自分を取り巻く何かに軸を置く)のではなく、自分の感覚に軸を置くこと=自分軸で生きるというスタンスが必要です。
考えるのを止めて、感覚を頼りにしてみる。
みんなこういうことに慣れてないから、すぐに根拠と理屈を求めてしまうが、それも今までの刷り込まれたパターンですよね?
普段感じれていない自分や今を感じてみる。いつもと違う発想や行動をしてみる。
囚われた自分を外す時間を作りましょう。
瞑想やヨガなんかが流行っているようですが、そういうのを求め始めた人が増えているからかもしれませんね。
ま、変な指導者に当たると、変なハマり方するかもしれないけど。