共鳴現象とは、同じようなものが反応する・響き合う・引き合うみたいな現象のことを言います。
気の合う仲間同士とか、好み・好きなものが一緒の人なんかは波長が合いますよね。
共鳴できると盛り上がったり、テンション上がったり、心地よかったりします。
(エネルギーが上がる、調和する)
例えば、絵画などの作品を見て、そこに「何か」を感じるというのも、自分の中にある何かしらの感性と共鳴して感じる訳ですね。
他の何かを見ているようで、実際は自分の中にあるものの反映を見ている。鏡の法則とですね。
それぞれの人が持っている感性・価値観などに照らし合わせてものを見ていますから、同じ作品を見ても、人それぞれ受け取り方が違うということが起きます。
(そこから自分や他の人の持っている感性や価値観に気付くこともできます)
この部分にこんなメッセージ性を感じるとか、こういう感じが好きだな~とか、それぞれの人の感性で、自分なりに好きなように(その人の共鳴できる形で)感じたり、受け取るから当然ですよね。
そうなると、共鳴できる人とそうでない人が出てくる。
よりたくさんの人と共鳴できるに越したことは無いのですが、共鳴できなかったとしても、そこに良い悪いはありません。それぞれの人が持つ背景によって、見る角度、捉え方が違うだけのこと。そういう視点や捉え方もあるんだな~と受け入れつつ、出来ることをしながら流れに任せていると、適度な距離感が保てるようになるのかなと。
ある意味、適度な「住み分け」を含めた共生みたいな感じ!?
ただ、そこに、良い悪い、善悪、正しい・間違いなどの観念を持ち込んで、それをベースにものを見始めると…
共鳴できないものへの反発や批判、認めたくない、よくわからない、どうも嫌いだ、というような判断・ジャッジをするようになります。
絵画だと、この作品は嫌いだとか、批判的なコメントをしたりとか、好意的に捉える人を揶揄したりとか…。
今回、絵画を例にしましたが、「絵画」を「自分の周りの状況や世の中」と入れ替えても同じですね。
こういった観念を中心に思考すると、共鳴できる・できない、合う・合わないと、ジャッジ、批判を繰り返しながら生きてしまう。
また、「自分は正しい」「正義」みたいなところに執着すると、争いや不協和の中で生きるということになります。理解できない人との共生には無理がある、となるわけです。
エネルギーも上がりにくく、常にストレスで打ち減らされてエネルギーが不足しますから、足の引っ張り合いや奪い合いをしたり、より優位に立ちたいがために相手を攻撃したりもします。
やって、やられて、振り回されて、泥沼サバイバルワールド…。
今回、色を変えて文章を書いてみました。
ここから何かを感じてもらえると面白いかな~と。
観念は刷り込まれたものであって、本当の自分ではありません。
泥沼空間からは早く抜け出したいものですね。