無為とは…
意図しない、ある意味考えない、宇宙や自然の営み・流れに沿った状態、生き方なのかなと。無為自然と言われた先人もいらっしゃいました。
宇宙や自然の営み、その流れを感じながら・乗りながら、自然体で生きる。ある意味宇宙と繋がって生きる。縄文時代はおそらく、そういう文化基盤を持っていたのではないかと思われます。
その流れで生まれた現象、知り得た情報、知識などを結び付けて、お互いが響き合うように活用する「智恵=叡智」を生み出し、新しいものを作り出した。これが創造。
この創造が次々と新しいものを生み出し、それに伴って進化と拡大を繰り返す=宇宙の拡大
宇宙の営み(本質)に沿うと、そのダイナミックな流れやエネルギーが流入してきて活性化する。
また、呼応する次元(高次元)の法則が発動して、物事が起きる。
縄文時代は意思疎通のための文字を持たなかったようだ。
だが、争いの跡が出なかったり、お互いを思いあっていたようであり、意思疎通が出来ていた。それぞれが何かしら繋がっていて、そこを通してツーカーだったのだ。テレパシー的やりとりと言ってもいいかもしれない。
と考えると、縄文は現代よりクリアーな文明だったのかもしれない。おそらく、今の常識ではあり得ない事が普通だったはずだ。テレパシーとか使えればね、そりゃ…。
無為中心の時代から激変!
ところが、その宇宙・自然との繋がりから、切り離される事態が起こる…。
人類史を研究したサピエンス全史という本には約7万年前に認知革命なるものが起き、今のホモサピエンス(賢い人類というような意味らしい)が誕生してから、大きく変化した、というようなことが書かれている。
その時に起きた変化をザックリ書いてみると…
ネイティブな人たちは寝ている時の夢や、感覚的直感でインスピレーションから情報を受け取ることがあるらしいが(例えば、食料が必要な状況の時に、獲物がいる場所の夢を見たり、木の実がある場所が分かったりするなど)、おそらく縄文人はそれが普通だった。
ところがそこに、今までしなかった発想や認識をする者が出てくる。
例えば、獲物がいる場所や木の実が取れる場所などの情報が、もしこの先来なくなったらどうしよう…(-_-;)みたいな妄想をする奴が出てきた。
今まで、地球にフィットしながらインスピレーションを受け取りながら生きているのが当たり前だったが、考え出すと妄想と不安がどんどん膨らんでいき…大きな不安はそのうち恐怖を生み出した。
これは、ヤバいかもしれない…!?どうしよう、もしそうなってしまったら死活問題だ!!どう対処したらよいか?などと思考を繰り返しているうちに、「まだ現実に起こっていない事態(妄想)や、そこから来る不安、恐怖」の事ばかり考えるようになり、そっちにリアリティーを感じるようになってしまった。
まだ起こってない事態、妄想、架空の事象、つまり「フィクション」にリアリティーを感じ、信じるようになり、それに対して行動・思考するようになってしまったのだ。
知識と知恵で思考する有為の時代へ
不安、恐怖に囚われた思考中心になると、宇宙・自然と繋がらなくなって、本当に情報が来なくなった。
そうなると、今まで得た知識、情報などを頼りに、分析、思考して、目の前の事態に対処しなければいけなくなった。
持っている情報を頼りに、より優位・有利な状態を確保するべく動き始める。 持っている情報や技術が多いほど有利だ。逆に情報がない、分からないということは、さらに不安や恐怖の種になった。
過去に失敗体験などがあれば、それが頭をよぎる。その不安や恐怖を回避するべく、思考を巡らして、少しでも優位に立てるように策略、嘘、みたいなことも言ってしまうようになる。
そして自分の都合や立場を優先する人が多発した。そして権力を握る人も出てくる。そのような人が増えたら、どんどん、いろんな意図や策略的情報、誰かの都合が世の中に満ち溢れるようになった。
複雑化する世の中…ほとんどが誰かの意図に満ちた、有為・有意の世界。
何が本当で何が嘘か分からない虚構?のフィクションワールドの完成である。
そんな中で、自分の優位を確保するために争いを繰り広げている!?
その延長線上が現代社会である。
自然の営みに沿った、また宇宙法則に沿った有為(創造)もたまにはあるかもしれないけどほとんどは、それに沿わない架空の情報=虚像、つまり虚の世界とも言える。
発信する側の都合、不安、恐怖、嘘、自分の正当化
そこに受け取る側の心理が反応して、妄想が暴走!?
虚の世界を拡大していく…。
溢れんばかりの情報社会。
仮想情報空間まで生み出した。
(フェイスブックやツイッター、ブログなんかも、それに入るのかな)
そして、それぞれが妄想を膨らませて感情的になって書き込めば、炎上騒ぎである。
今はそんな世の中。
意図や戦略で一時的に成功することもあるかもしれないが、それを継続させるためには、意図・戦略・策略を打ち続け、疲労やストレスで落ちたエネルギーはどこかから奪うか調達してこないといけない(宇宙の流れ・法則から外れると、そこからのエネルギー流入がなくなりますから…)
これってどこかで、崩壊しますよね。
奢れるものも久しからず。盛者必衰の理を表す。今、そのサイクルも非常に早いです。
世の中のベース自体がそんな状況なので、そこから得た知識・情報で考えて判断している状態では、真実や本質に沿ったものを見抜く、またはそういう情報を得る事は、非常に難しくなってきた!?
ある意味、今ある常識の中には、真実や本質に沿ったもの、自然の営みや宇宙法則に沿ったものがほとんど無いと言えるかもしれません。
そんな中で、本質に触れるにはどうしたらいいか、その入り口とは…!?
リアルな宇宙の営み、地球の営み=自然に触れる。
知識・情報からそれを理解・判断するのではなく、そこから感じるものを大事にする。
自然に触れる、感じるイベントやってます。
フラワーレではそういうテーマの元、自然を感じる企画を毎月やってますので、よかったらチェックしてみてくださいね~
また、その他にも、常識外の奇跡を起こしていて、再現性があるものなどは、宇宙法則やその営みに沿ったものである可能性が高いです。
体感できる・リアルに感じられるものだと、なお良いでしょう。
その感覚は、本質に沿って生きていく為の軸になります。
私は保江邦夫先生 に出会い、愛魂を教えて頂いて、大きく人生が変わりました。愛魂(あいき)は無為の力を使います。稽古ではそこに繋がるおもしろい練習をします。
フラワーレでも、その初歩の部分をお伝えさせていただいてます。興味のある方はお問い合わせくださいね。(愛魂についての説明はまたの機会に譲ります)
ただ、奇跡と言っても様々なもの(怪しいものも)ありますから、そこは吟味してくださいね。
エネルギーを吸い上げるとか、依存させるとか、不安を煽るとか、不安やトラウマを解消するとか…。
焦点が当たっているところを見ると、どこに繋がっているのか、どのワールドにいるのかが分かりますから。
ただ、それを体験したからこそ分かるとか、まずはそこから体験したい人もいるかもしれませんし、それはそれで良いと思います。
存在しているということは存在理由がある訳で、必要がなくなれば、自然と消えていくと思うし、そこに良い悪いは無く、必然があるだけなんだと思います。