自分の意識の軸がどこにあるのか!?客観的に見てみましょう!
注)一般的に言われる「次元」の概念と、ここに言われる「次元」は解釈が異なると思いますので、堅苦しく考えず、感覚でお読みください。
3次元的意識の状態って?
アナタは、今、どこにいますか?
例えば→「●●市▲▲町の自宅の自分の部屋」…その通り!普通に当たり前の回答なのですが、これは3次元的な答えということになります。
普通、そういう風に聞かれたら、その場がどこで、何があるか、家があって、壁で仕切られた部屋があって…と「物質」に焦点を当てて表現をします。目のピントも自然に「物」に焦点が合います。
これが3次元的意識の状態。物質や物に意識の軸がある状態です。
みんな3次元的な肉体を持って生きているし、これが当たり前、当然で、3次元で生きて活動するためには必要不可欠です。
ただ、この意識の状態は、モノに焦点が当たって、そっちに意識が行っているので、周りに見える物質・モノに囚われやすくなり、モノを基準に思考し感情が動きます。
例えば、周りに物がたくさんあると幸せを感じたり、満たされてる感がありますが、逆に物が不足すると、不安になったり、不満が募ったりします。
また、そういったものを手に入れる手段である「お金」に固執したりします。
お金をたくさん持つこと=幸せ、お金がない事=不安・不幸…みたいな意識の状態はベタな3次元的意識の状態と言えるでしょう。
何によって満たされた感があるのか?を見てみると、どこに焦点が当たっているのか見えてきます。
4次元的意識の状態って?
4次元はどうかというと、満たされたいと思った時、物質的なもので満たされるのが3次元ですが、それ以外にも違う満たされ方があります。目に見えない心の部分、心理的に満たされたいという欲求が人間にはありますよね。
認められたい、愛されたい、癒されたい、必要とされたい、受け入れて欲しい、わかって欲しい、優しくされたい、などなど…
感じる事だから、明確な基準や形が無く、伝えにくいし、分かりにくい…。
だから、なかなか相手や周りとのピントが合わず、「なんで~(泣)」と、悶々とする訳ですが…。
こういった目に見えないけど確かに「ある」心理的意識に焦点が当たっている状態を、3次元と区別して、4次元的意識の状態としておきましょう。
まぁ、これも当たり前と言えば、当たり前な感覚でしょうか。
こういった中で、嬉しいとか、快感とか、悔しいとか、悲しいとか、寂しいとか、いろいろ感じながら、日々過ごしていく訳ですが、当然、感情の起伏が出てきます。
嬉しい事ばかりならいいけど、つらいことも結構ある…。
つらいことが続くと、心の欠乏感がどんどん膨らんでくる…。
なんとか「私」を満たしたい、満たされたい…という意識が強くなると、感情が過剰に出たり、なりふり構わず強引な言動が出たり、周りとの摩擦やトラブルが起きやすくなります。
こういったことが複雑に絡み合い、社会的なドラマを作り出しています。TVのドラマとかもそうですよね。
このドラマの裏側にある心理をひと言でまとめると「承認欲求」ということになるかと思います。
みんな「私が」認められる為に何をすれば良いのか!?を一生懸命考えてやっている。
「私が」という自我的意識が強くなると、当然、周りとうまく共鳴できなくなり、摩擦が起きやすくなります。
ほとんどの人が、3次元と4次元の意識をウロウロして、ループしている
みんな何かで自分を満たそうとして、物を買ったり、心の隙間を埋めようとしたり、認められる為に努力をしたりするのですが、幸せを感じることはあっても一瞬で、なかなか完全に満たされることはなく…。
常に何かしらの欠乏感と不安感を抱え、それを補うために一生懸命生きるのですが、結局、満たされず、気が付いたら歳も取り、こういうのが当たり前なんだと思い始める。
こうなると、満たせるところで何とか満たし、他のストレスのはけ口をどう作るかの人生に…。
こういう意識の状態をグルグルしていたら、気が滅入りますよね。
無いものばかり追いかけていても幸せになれません。
つまり3次元・4次元の意識に軸が立っていると、うまくいかなくなります。
なんとか意識の起点を、次の領域にシフトさせたい訳ですが、ここから抜け出すには、この領域から出るには、どうしたら良いのか!?
それには発想や視点の転換が必要になってきます。
次元が変わるということは、常識が変わるということ。
次回はこの次の領域である5次元的意識について書いていこうと思います。