意識の起点がどこにあるかによって、様々な違いが出てきます。
3次元的な意識とは?4次元的な意識とは?5次元的な意識とは?についていろいろ書いてきましたが、(過去記事は①こちらと②こちら)ここで、まとめに入って行きたいと思います。
意識の違いによる「幸せ感」「愛」の感覚の違い
3次元、4次元、5次元、それぞれの感覚に違いについて、もう少し詳しく見ていきたいと思います。
3次元的意識の幸せ感・愛の感覚
まず、3次元的な意識の場合、3次元的な「モノ」に視点・焦点が当たり、そこに固執する傾向があります。当然、モノを手に入れる手段である「お金」にも固執します。
ここでは、自分が「モノ」を持っているか、いないか、が価値観の中で非常に重要になってきますので、所有したい欲がどんどん出てきます。
そのような意識の状態では、「モノ」があること、所有していることに、幸せ感や安心感を感じます。
ただ、その裏返しで、「モノ」がないこと、所有していないことに対しては、不幸に思ったり、不安になったり、イライラ・ストレスを感じて不満がつのり、それが過度になると恐怖を覚えたりします。
これは意識の状態ですから、悶々と考え続けることによって、積もり積もって蓄積されることもあります。それが現実世界に表出してしまうと、嫌がらせや妨害、危害を加えるみたいな、あり得ない犯罪的行為に発展することも…。
また、「モノ」をもらえることや、何かをしてもらえることに、愛や優しさ、幸せ感を感じ、モノをあげるとか、何かをしてあげることで愛情表現をする傾向があります。
プレゼントをもらえたとか、やさしくしてくれたとか。「わ~嬉しい!幸せ~❤」
ところが、周りと比べて、友達の方が高い金額のものをもらっていたり、たくさんのことをしてもらっていると、凹んだり、愛されているか不安になったりすることも…。
また、これだけのモノをあげたのに、これだけしてあげたのに…と、もらったモノと自分があげたモノの価値とを比較して悩むことも…。
3次元意識の「幸せ感」「愛」の感覚は、モノの質と量がモノサシになっていますね。
言い換えると、「幸せと愛の質量はモノで測られる」といった感じでしょうか。
モノで自分を満たそうとしますが、全てが満たされることは果たしてあるのかどうか…。
4次元的意識の幸せ感・愛の感覚
物質的なモノで満たされたいのが3次元ですが、心の部分で満たされたいという意識の状態を3次元と区別して4次元的意識としておきます。
ここでは「心」や「思い」といった、目に見えないけど確かにある「心理的な部分」に焦点が当たっています。
心の部分を満たしたい、満たされたいとなると、認められたい、必要とされたい、わかって欲しい、受け入れて欲しい、癒されたい…みたいな心理的欲求が働きます。
そして、認めてもらえたり、必要とされていたり、わかってくれたり、受け入れてくれたり、癒してくれると、幸せに感じたり、愛されていると感じます。
しかし逆の場合、悶々としたり、不安になったり、悲しくなったり、寂しさを感じたり、愛されていないと感じたりします。
また、「こんなに相手を思っている(=愛?)」に基づいた行動が受け入れられると充実感や幸せ感を感じるけど、受け入れられないと、つらい、悲しいという感情が、行き過ぎると妬みや怒りになることも…。
思いが伝わらないとか、思いにズレを感じたり、価値観に見合わないと、不満やストレスを感じるのですが、この時の基準となるのが「私の思い・価値観」なので、人それぞれ基準も違って非常に複雑です。
その上、いろんな事を知れば知るほど理想が上がっていくので、完全に満たされるということは無いのかもしれません。
ここでの「幸せと愛の質量は私の価値観の満たされ加減」で測られます。
「私」の基準を押し通そうとすると非常に自我的になります。
5次元的意識と、その幸せ感・愛の感覚について
私のことだけ…を言っていられない状況になってくると、物事を全体的に客観的に見なければならない状態が発生します。しかし、この状態が意識を進化・発展させます。
自分から全体に意識が広がるのですね。全体から見ると…とか、全体の中の自分という視点がだんだん身に付いてきます。全体の範囲が広がれば広がるほど意識が広がります。
自分を客観的に見られるようになると、モノや価値観、感情などに囚われている自分に気付きやすくなり、気付くと、いったんニュートラルな状態・冷静な状態に戻れるようになります。
こうして冷静に自分から離れて見れるようになると、今までは何か不都合が起こると「誰かのせいだ!」となっていたのが、誰かがそうするに至った裏側の理由・原因を見たり、またそうなるに至った全体の流れや経緯など、現象の裏側にある意味を見れるようになります。
「この現象は自分に何を知らせてくれているのか?」という視点ですね。
そこが見えてくると、次の問題が起きる前に回避できたり、全体がより良い方向へ向かって動く流れを作れるようになってきます。
こうして周りといかに響き合えるか、全体を共鳴させることができるか、という視点・意識になって行きます。
そして「場」や「空間」が見えるようになって、広がっていくと、気付くのです。
たくさんの人や、人が作りだしたもの、自然などに包まれながら、助けられながら、その繋がりの中で生かされている事に。
実は、自分ひとりで出来ることなんてありません。
電気、ガス、水道だって、必ずそこに関わってくれる方がいらっしゃるから手元に来ている訳だし、今使っている機器も誰かが作ってくれたから使える。いろんな素材も資源も地球が用意してくれたもの。野菜や果物だって自然が育んでくれるから食べられる。食物にしたって腸内細菌が助けてくれなきゃ消化できない…。
昨今、自然災害も多いですが、そういった大変な事態に陥ってはじめて気づく。
いろんなものの「ありがたさ」に。たくさんのものに守られていたことに。
無くなって気付く、大切な事。
私は、2回死んだと思ったことがありますし、一文無しになりかけたことも2回ありますが、温かいごはんとお味噌汁が食べられたあの晩に、なんとありがたいことか…と涙がこぼれたことを今でも覚えています。
ありがたい=有難い。実はあり得ないような奇跡的な事が重なって繋がって「今」があり、その上で、私たちは生かされているのです。
本当に「ありがたい」と思うと、ぶわ~っと感謝があふれてきます。
感謝とは本来、内側からあふれてくるものなのですね。そして、それが言葉や行動に繋がる。
「愛」という感覚も、誰かのために、何かのために、が内側からあふれてくるのが本来ではないでしょうか?そこに打算や計算はありません。
このような心と行動=「あり方」が見えない何か(魂とか、それぞれの人が持っている本質的領域のエネルギー)を響かせるのです。
ちなみに、そうようなあり方を見たり聞いたりして心に響く(共振する)ということは、皆さん同じよなものを持っているということです。ここを出していきたいところですね!
「ありがたい」と日々思えていて、物事の裏にある意味を受け取れる人は、どんな環境においても、幸せ度は高いのではないでしょうか?
ここでの幸せと愛の質量は、意識の広がりと深さに比例するかもしれませんね。
3次元的意識、4次元的意識、5次元的意識を見られて、どう感じましたか?
モノがもらえるから感謝するのか。
何かしらのしてくれた行為が嬉しいから感謝するのか。
いろんなことが「ありがたい」と思えて感謝が湧いてくるのか。
「ありがとう」「愛」「感謝」という言葉が持つエネルギーはすごいとか、言霊なんて言ったりしますが、どの領域から響いているかによって、パワーは全く違います。
日々、丁寧に生きていきたいものです。
とは言え、ブレるのも人間。バイオリズムも波がある!?
ただ、こういう事を知っていると、「あ、今、この領域にいるわ!」と気付いて、修正ができるかもしれませんよ。