<毎月行っている無常識の会より>
教育は常に時代遅れ
教えるプログラムを作る大人の価値観が一世代前だから、常に一昔前の価値観を刷り込むようになるのも必然なのか?
都合の良い子供に仕立て上げるのか、創造性豊かな子供になっていくのか?
くだらない校則問題なんかも取りだたされているが、どこに主眼を置いているのか?
PTA?世間の評判?子供?
型にはまらないと発達障害のレッテルが貼られたり、学級崩壊や不登校が問題化しているが、どの視点から見た型なのか、そもそも学校が面白くないんじゃないか、とか、もう、視点を変えなきゃいけない時期に来ているんじゃないだろうか!?
<イラスト 大岡 愛さん Thankus !!>
いちばんの教育はおもしろいことやってる大人に会わせる、いろんな体験をさせることだと思う。
早く大人になりた~い!!という子供がどれくらい出てくるのか。
私の時代は、大人になりたくない子供が多かったような気がする。
(大学出ても就職が少ないバブル崩壊後の閉塞的な時代だったからな~)
視点・考え方・意識を切り替える必要性がある
教育も社会もそうだが、くだらないことにがんじがらめになっていることが多い。
災害支援でいろいろ動いていると、本当に融通の利かない事が多い。昭和●年の法律が壁になっていますとか、マジですか??と思うことも…。行政を通してやろうとすると、前例がない・仕組みがない・今までの枠組みでやると調整・会議が必要とか…。
だから、一般の任意団体の一員や、個人として、ご縁や繋がりがある所にリアルタイムでの支援や活動を心がけてきたけど、常に現場は変化していて、臨機応変な対応と、先を見越した創造力が求められたりする。こういうことはマニュアル人間では無理かも。
変な言い方だけど、正しさは、時には正しくない事がある。
「これは正しい、今までそうだった」が通用しなくなりそうな時代において(特にAIは大変化をもたらすでしょう)、いかに今までとは違う自由な発想が出来るかは、子供よりも大人の方が大事な課題と言えるかもしれません。
だって、子供はもともと自由だから。
枠にさえ嵌めなければ自由な発想ができるだろうし、大人では考えられないことをしたりする(笑)しかし、そこにヒントがいっぱいあるかもよ。
これからはむしろ、子供を見て親が学ぶ時代になるかもしれませんね。
常に、新しい領域に意識のアンテナを向けておきましょう!
今までの常識というフィルターで排除するのではなく、新しい試み、体験をしていきましょう。常に常識的で正しい大人である必要はないと思います。いっしょに体験して、いっしょに失敗してもいいんじゃないか?
大人も子供もいっしょに学んでいけば良いのではないかと思います。